サイトご挨拶
ようこそ!!我が「青春NG」のお部屋へお入り下さり、ありがとうございます。 自分がこの部屋の主であり「青春NG」の作者でもある、村木じんごろうでございます。どうぞお見知りおきを。 |
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そもそも自分が、プロの漫画家になろうとしたキッカケは、小学6年生の時。 そう、この作品のサブタイトルでもある「少年時代」の頃。自分の子供時代というのは 勉強はぜんぜん出来ない、運動はからっきしダメな 本当に何をやってもダメな劣等生小学生でした。 けれど、なぜか[絵]だけは描くのが好きで、授業中でもおかまいなしに ノートに隙間が無くなるぐらい 落書きをしていました。少しでも余白があれば、たちどころに落書きをしてしまうぐらい [絵] を描くのが 好きな子供でした。 クラスメイト達は絵の描ける自分に一目おく様になり、よくいろんなキャラクターの絵を描いてくれと 頼まれる事が多くなって、しまいには違うクラスの連中までもが頼みに来る程、マンガ少年として 有名になっていました。 でも、マンガ以外は出来の悪い子供だったため、うちの両親からは 「マンガばっかり描いていると余計バカになるからやめな さい。マンガを描く暇があったら、予習でもしなさい!」 とガミガミ言われる毎日でありました。でもそんな事でやめる様な素直な子供ではなかった自分は いつも親に隠れて 友達の家とかでマンガをコッソリと描いては 学校でみんなに見せて 笑わせておりました。(当時、赤塚不二夫さんのファンだったので、ギャグマンガの様なものを描いてたと思います) |
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しかし、前々から入退院を繰り返していた父親が、長期入院をする事が決まり、自分は
父親の 田舎である、岐阜県可児郡御嵩町という所で自営業と農業を営んでいる叔父の所へ引き取られる事になり 11年間住み慣れた 愛知県知多郡武豊町を離れる事になってしまったのです。 物心ついた頃から遊んでいたクラスメイトと別れる事が決まった時、我が6年1組の担任の 高橋先生の提案で、自分のお別れ会を開いてくれる事になり、皆、思い思いのプレゼントやお別れの 作文を書いてきてくれて、中には泣き出すメンバーまで出てきたんです。 転校する当日なんか、クラス全員で自分のために胴上げまでしてくれて、自分はとうとうこらえきれなくなって 号泣してしまいました。 叔父の車が迎えに来て、クラスメイトや高橋先生と別れ際、皆が一斉に「絶対、漫画家になれよ!!雑誌に 載ったら皆でその本買い占めてやるから。オレ達、いつまでもキムコ(自分の当時のあだ名です)の事 応援してるからな〜。そして、オレ達6年1組の事もず〜っと忘れないでくれよ〜」と いつまでもいつまでも叫んでいた皆の声に、涙が止まらず 母親や叔父に泣き顔を見られない様、じっと 下を向いていました。 その時子供心に「オレは絶対マンガ家になるんだ。6年1組の皆のためにも、そして何をやっても ダメなオレでも、ここまで出来るんだって事を世の中に証明するためにも、絶対マンガ家になってやる んだ!」 と心に堅く誓ったんです。 そしてそれは、大人になった現在も全く変わらない決意でもあります。 今の自分があるのは、武豊町立衣浦小学校 6年1組 高橋学級のみんなの熱い想いがあったからこそ。 何度もマンガ家の道をやめようと思った時もありました。でもそんな時、毎回 6年1組のみんなの 励ましの手紙を取り出しては、何度も読み返して 「オレだけの夢ではないんだ。6年1組みんなの夢でもあるんだ。こんな事でへたっててどうする!」と 自分自信に叱咤激励し、決意を新たに頑張ってきたのです。 |
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現在、講談社の「Kiss」に 働く女性をテーマにしたマンガを
3ケ月に1本の割合で投稿していますが まだ一度も入選した事はありません。 が、絶対諦める事なく、人々に感動を与えられるマンガ家になれる様、日々 精進していく決意であります。 最後に、このHPを制作してくれた、加藤ミノルさんに 心から感謝し、お礼を申し上げます。 本当にありがとうございました。 そして、この作品「青春NG,00〜少年時代〜」を衣浦小学校6年1組、高橋学級のみんなに捧げたいと思い 私、村木じんごろうのメッセージとさせていただきます。 |